現在の私は、いま、ここ、に存在しながら、同時に霊界とか天界にいるような感覚があります。多次元世界を同時に生きているようなこの感覚、最初のうちこそフワフワしたものでしたが今は落ち着きました。
この感覚が強くなったのは、覚醒体験の後、クンダリニーの目覚めが起きてからです。そして光のツインレイ、シュアクリーナとの統合を経てさらに加速しました。
この状態が続いていると、別世界に引き込まれたり映像を見せられたりすることが多くなります。そして、一見すると妄想じゃないかと思うことがあっても後で必ず繋がって理解できます。「ああ、これを見せたかったのね」、「ああ、これに気づかせたかったのね」となるのです。
私が見た具現化されたリアルな世界、少しでもお伝えできればと思い日記を紐解きました(あくまでも私が見た世界観なのでご理解お願いします)
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(奪衣婆は三途の川の番人なのか?)
気がつくと私は迷いの森のような色のない世界にいました。どこまでも続く原野のようなところで、背丈ほどもある葦がうっそうと茂っている場所でした。遠くに見える山々は暗く、音もなく、とても寂しい世界でした。
私はなんとなく、ここは修羅の世界だ、と思いました。なぜそう思ったのかはわかりませんが、ただただ「修羅の世界」という感覚が浮かんだのです。
修羅の世界ってこんな場所だったんだ
色のない殺伐とした場所。殺風景な景色だけが延々と続いている場所。そしてここには私一人しかいないのではないかという強烈な寂しさがありました。
そんな景色の中、道なき道を歩き続けていた私の目の前に、やがて小さな川が現れました。
ああ、これが俗にいう「三途の川」ってやつか
なぜそう思ったのかわかりませんが、ここでも、ただただ「三途の川」という言葉が浮かんできました。
何の疑いもなく無意識に歩いてきた私ですが、三途の川、と思ったとたん、急に怖くなって躊躇しました。ここを渡ったら死んじゃうかと思いました。
そして何気なく後ろを振り返ると
さっきまでは気づかなかったのに小さな小屋があるのが見えました。ボロボロのお堂みたいな建物でいまにも壊れそうな廃屋でした。
こんな小屋あったっけ?
不思議に考えていると、扉の前に1人のお婆さんが立っているのが見えました。そのお婆さんは自身の名を「奪衣婆(だつえば)」と名乗りました。隣には怖そうな鬼がいました。
このときの私は「奪衣婆」という存在をしらなかったので「?」となりました。後にネットで調べた情報を共有させていただきます。
ーーーウィキペディアよりーーー
※奪衣婆は、三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼。多くの地獄絵図に登場する奪衣婆は、胸元をはだけた容貌魁偉な老婆として描かれている。(抜粋)
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奪衣婆は扉を開けて私をお堂の中に入れてくれました。外から見ると今にも壊れそうなボロボロの小さな廃屋でしたが、中に入ると広い空間が広がってました。そして聞いたこともないような美しい観音経が流れてました。
私にはこの観音経が天界の「しらべ(波長)」であることがわかりました。天女のしらべのような、いままで聞いたことがない美しさに、魂が感極まって泣いてしまいました。次から次へと涙が溢れて止まりませんでした。
そんな私を見ながら、奪衣婆は優しく言いました。
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この観音経は地獄の底までも届いているのだよ
そして観音の光は六道輪廻すべての世界を照らしているのだよ
だけど地獄に落ちている魂には光が見えずしらべが聞こえないのだ
もうわかっただろう。閻魔も婆も(閻魔大王と奪衣婆のこと)誰も人間を裁いてはいないのだ
われらが人間を裁いて地獄に落としているのではなく、自分自身で裁いて地獄に堕ちているのだよ
自分を裁けるのは自分の魂だけだ。人間はみな自らが裁いて行くところに行ってるのだ
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私はすべてを理解しました。最後は私たち1人1人の魂が自らを裁いているのだということを。思考では言い訳しながら自分を誤魔化せても、魂そのものは誤魔化せないですからね。死んで思考から切り離されたときに、言い訳やごまかしなしで、行くべきところに行くのだということを。
私は奪衣婆に、どうして私にこの世界を見せてくれたのかを聞いてみました。
「それはな、そなたが普段から、さ迷っている御霊を助けたいとたくさんの涙を流してきたからだ。その思いがこの婆に伝わったのだ」と言いました。
閻魔大王がお地蔵様の化身であるように、奪衣婆は観音菩薩の化身なのだと思いました。直感というより私の確信です。ネットで調べても情報はでてきませんが、私はそう確信しました。
私は奪衣婆に「私の魂はまだまだ汚れてますが、私はその汚れてる部分も含めて大好きなんです。汚れてるところも含めてすべてをあなたに見て欲しいです。私のハートを見てください。私の愛を受け取ってください」と泣きながら駆け寄り抱きつきました。ありったけの愛を奪衣婆に受け取ってほしかったのに、逆にありったけの愛で私をぎゅーっと抱きしめてくれました。
その愛は観音と同じ愛でした。
ありがとう観音様
ありがとうおばば様
(※)敬意を込めて、「おばば様」と呼ばせてもらうことにしました。「おばば様」とても素敵な呼び方です。愛してます。
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