(不思議な感覚)
先日、栃木県足利の山の中、断崖絶壁に囲まれた場所にある「行道山_浄因寺」というお寺に行ってきました。和銅6年(713年)に開かれた古刹で、別名を「関東の高野山」といい、参道から山頂にかけ3万3千体を超える石仏や寝ている寝釈迦仏が並んでいるのです。
断崖絶壁に囲まれた山深い古刹なら訪れる人も少ないだろうということで、プチドライブ、プチハイキングに家族で出かけることにしたのです。
栃木県の足利や佐野方面はよく遊びにいく場所で、大きなお寺や神社はほとんど知ってるはずなのに、地図にものってるこのお寺を今まで知らなかったのか、なのに急にこのタイミングで知ることになって、行くことになったのか、とても不思議でした。
(独鈷杵が頭に浮かんで離れない)
その不思議な思いに拍車をかけたのが、出がけに、急に、独鈷杵が頭に浮かんで離れなくなったことです。なぜか独鈷杵が頭に浮かんできて意識から離れないのです。
何が起こってるの?
と問いかける時間もなく、慌ただしく独鈷杵をケースに入れてすでに車に乗っている妻と息子に追いつきました。
独鈷杵持ってくの?、なんで?
と妻に聞かれても理由もわからず、なんとなく、と答えることしかできませんでした。
(久しぶりのドライブでワクワクMAX)
しかし、そんな出がけの一件も車を運転したらすっかり忘れてしまい、久しぶりの高速ドライブはとても楽しく、ワクワクした気持ちになりました。途中パーキングに寄って買い物したり昼食をとったり、久しぶりのプチ旅行を楽しみました。
そんなハイな気持ちのまま「行道山_浄因寺」に着いた私たちは、駐車場から20分かかる石段を登って本堂に向かいました。駐車場には私たちの他に車が1台だけ止まっていましたが、やはり山奥の古刹に来ている人はほとんどいませんでした。
石段の周りを取り囲む多くの石仏に手を合わせたり持ってきたお酒やお水をお供えしながら進みました。けっこう急な石段が続いてますが小川のせせらぎが心地よく疲れを癒やしてくれます。妻も息子もまったく疲れた様子はありません。これぞまさしく自然のパワーって感じです。ビルの中の階段だったらとっくにへばってると思います。
(猫の顔がどうみても変だよ)
数年前の台風でかなりの被害があったのか、途中、倒木の注意書きや閉鎖されている場所などがありました。そんな理由から、本堂も宿坊らしき建物も今は無人になっていました。
ようやく本堂につき持ってきたお酒とお水を捧げていると、荒れた建物のわき、雨があたらない場所に2匹の猫が住み着いているのが見えました。
2匹ともデンと腰を下ろし私たちの様子を目で追っている感じです。
猫と視線が合うと、猫も視線をそらさずずっと私を見てきます。お互いに見つめたまま視線を外せずにいると、なんと奥にいる猫の顔が変なことに気づきました。目が4つに見えるのです。
そうか、この違和感のために視線が外せないんだ
私はとっさにそう思いましたが、それでも視線が外せないのです。私の錯覚かもしれないと思いメガネを外して目をこすってみましたが、どう見ても奥の猫だけ目が4つあるように見えるのです。ちょっと怖い感じの違和感がする中、私は妻と息子に声をかけました。
ねえ、見て、あの猫ちゃん目が4つあるように見えるんだけど、私だけがそう見えるのかな?
二人とも猫がいることすら気づいていなかったらしくビックリした様子でしたが、私が示す方を見ると納得するように言葉を失ってました。。。
やっぱり4つ目に見えるよね?、ちょっと変な感じ、変な違和感を感じるんだけど
私がそう言った瞬間、頭に、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)、という言葉が浮かんできました。
金剛夜叉明王って今までご縁がなかったので存在は知っていたけど見たことも意識したこともない明王です。密教の仏様ですが、不動明王とかに比べると知名度も低いと思います。
やべー
私の中で朝の独鈷杵の話が「ピン!」とつながった感覚がしました。金剛夜叉明王はダイヤモンドのように固く何ものにも破壊されない仏の智慧を持っているお方で、右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持ち悪鬼や魔を打ち砕く明王様なのです。
つまり私は金剛夜叉明王にご縁をいただくためにここにきたのです。しかもその証として独鈷杵を持ってきたのだと思いました(金剛夜叉明王の正面の目は本当は5つあります。4つ目+眉間にあります)
(本堂から奥の院、寝釈迦への山道)
本堂から先の山道はハイキングコースとなってますがきつい勾配がありますし、本格的に回ると1日あっても足りない行程です。なので私たちは20~30分登ったところにある奥の院とその先の寝釈迦様の石仏まで行くことにしました。
ここから先の山道もあちらこちらに石仏群があり、手を合わせながら進むとけっこうな時間がかかりました。そして少し開けた場所までくると奥の院とその先の岩を登った場所に寝釈迦様と石仏群がありました。
ここから見る景色は格別でした。足利の町を一望できるくらい開けた見晴らしです。私は寝釈迦様と石仏群にお酒とお水をお供えしました。そして持ってきた独鈷杵を寝釈迦様にお願いしてパワーを入れてもらいました。
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(寝釈迦様のそばに金剛夜叉明王がいた!)
1つだけ腑に落ちないこと、それはこのお寺「浄因寺」と「金剛夜叉明王」のつながりがわからないことでした。浄因寺を調べても観音様やお釈迦様は出てくるのですが金剛夜叉明王がでてこないのです。
でも、このお寺を知って急に行きたくなったこと。独鈷杵を持っていくことになったこと。本堂にいた猫が4つ目に見えて金剛夜叉明王が浮かんだこと。そして金剛夜叉明王は金剛杵や金剛鈴などの密教法具(武具)を持っていてそれが象徴になっていること。これだけでも金剛夜叉明王にご縁をいただけたことは間違いないのですが、なぜ「浄因寺」なのかがわかりませんでした。
そんな思いを巡らせながら家に帰ってネットでいろいろ調べてみたら、なんと寝釈迦仏の脇に金剛夜叉明王の石仏もあると書かれているブログを発見しました。写真もアップされてました。
けっきょく自分では見つけられなかったけど金剛夜叉明王にも挨拶したのだということがわかりました。すべての謎が解けて嬉しかったのですが、目の前まで行ったのに、せめて、「私はここにいるぞー」っと教えてくれればよかったのにと思いました。なんで直接お会いできなかったのだろう?ー謎は深まりましたが、もう一度会いにいく機会ができたということで一件落着しました。
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(変な屋台で手に入れたもの)
金剛夜叉明王とご縁をいただけるなんて光栄だと思っていましたが、さらに私の気持ちは崇高な世界へと引き上げられていきました。
その日の夜は頭の芯が興奮してなかなか寝付けず、一昨年から続いているクンダリニーの上昇と眉間のチャクラの光がチラチラしてて半分寝てるのに半分起きているような意識状態が続いていました(クンダリニーが目覚めてからよくある状態です)。そんな変性意識の中で私は神社の境内に向かう長い参道を一人で歩いていました。
今日は1年に1回のお祭りの日で、赤い提灯に照らされた参道の両脇には屋台が並び多くの人でにぎわっていました。
ただ、よく見ると、歩いている人も屋台のおじさんお兄さんも顔がよくわからず「人間なのかどうか?」わからないのです。ああ、ここは人間の世界とは違うところだな、と夢見の意識でありながらも考えている私がいました。
しばらく歩いていると、やがて商品がなにも置かれていない屋台の前に立っていました。私がおじさんに「この屋台なにもないけど準備中なの?」と聞くと、陳列棚に1冊の古く分厚い本が現れました。よく見ると表紙にうっすら「大全」と書かれています。
おじさんは「おー。珍しい珍しい」といい、早く取るように促してきました。「さあ、早く取りなさい。これはあなたのために現れたもの。久しぶりに表れたので珍しがって見物人が集まってきてるから、ほら、誰かに横取りされないうちに早くとりなさい」と催促するように言いました。
私は言われるままに手に取りましたが、値段もわからない本を買うつもりもなかったので躊躇しました。そもそもこの本が何なのかもわかりません。事情がまったく飲み込めない私は、再度おじさんの方を見ました。
ああ、そうか、何も知らないんだね。じゃあ教えてあげるよ。
この屋台はね、お店の前に立った人に必要なものが出現するんだ。必要なものがないときは何もでないし、本人が望んだからって出てくるわけでもない。もちろん私がああだこうだできるものでもないし、お金で買ったり売ったりするものでもない。何がでるか私にもわからないのだから、出たとしても使い方も扱い方もわからない。
とのことでした。
不思議に思った私はいくつか質問しました。
おじさんは何者なのか?、私に必要なものがあるのかどうか誰が判断してこのものをここに出現させているのか?、お金で売買できないものを扱っているのなら、おじさんは奉仕かボランティアをしてるのか?、それとも何か別の思惑があるのか?
おじさんはそのほとんどの質問には答えませんでしたが、1つだけ教えてくれました。
私自身はお金は必要ない世界にいるのでお金は関係ないということ。しかしこの屋台の仕事はまったくの奉仕というわけでもないということ。つまり、私がこの本を受け取って使うとき、おじさんの霊格みたいな何かがあがるとのことでした。
(五大明王あらわる!)
おじさんがそこまで話したとき、暗闇の向こう、はるかかなたから巨大な何かが近づいてくるのが見えました。地響きを鳴らしながら近づいてくる足音を聞いていると、いままで周りにいた人たちや屋台やお祭り風景すべてが一瞬で消滅し暗闇に包まれました。
見上げるとそこには金剛夜叉明王が立ってました。5つ目の明王はとても力強くパワフルでした。完全に心の中を見透かされているようで、どうにも居心地が悪く感じました。内に悪しき思いを抱えていたなら、これほどまでに怖い明王はいないだろうと思いました。
目の前で繰り広げられる恐ろしい光景に、逃げることも隠れることもできない私は覚悟を決め、「私の中の悪しき思いやエゴを飲み込んで燃やしてください」と魂をさらけ出しました。徹底的に浄化して魂の純度をあげたいと望んでいる私ですから、必然的に体験しているのかもしれません。
「私を見てください。これが私のすべてです。悪いものもあります。でも私はあなたにすべてを見てもらいたいのです」。私が金剛夜叉明王に自分自身のすべてをさらけ出したとき、その背後に別の大きな4つの炎が現れました。そうです、私は五大明王に囲まれていたのです。憤怒の顔と焼ける炎で私を昇華してくれているのがわかりました。五大明王の聖なる炎に包まれた私は、嬉しくて涙があふれました。
●われらはそなたに「大全」を与えた。これでそなたはわれらが使いしすべての「呪法」を理解し使うことができるだろう。この「大全」はそなたの心にしまうがよかろう。そなたに必要なとき、必要なページを思い出し、祈る方法を知ることができるだろう。
5つの炎は私に深い安心感と安らぎを残して消えました。私はずっと泣いていました。そして「ありがとう。ありがとう」と何度も呟いていました。
ウソのような本当の話、読んでくださりありがとうございました。
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