密教から学ぶ新しい考え方

頭のかたい私は

密教を学ばせていただくにしても…

例えば金剛界念誦次第をやってるときは、どうして金剛界マンダラの仏様はこのような印と真言と観想でお迎えするのだろう、とか

例えば胎蔵界念誦次第をやってるときは、どうして胎蔵マンダラの仏様はこの印とこの真言じゃなきゃだめなんだろう、とか

1つ1つの印や真言や観想にこだわってしまう傾向がありました。

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考えてみたら、スピリチュアルに対する私の考え方も、いつもこの視点にいて、探査、探求をすることが目的みたいになっていたのです。もちろん、起きている現象の意味を深く探査、探求していくことは大切であり素晴らしいことではありますが

別の見方をすれば、例えが悪いかもしれませんが

ある人を好きになってしまったときに

「どうして私はこの人を好きになったのだろう?」

とひたすら考え続けることと同じかもしれない、ということに気づきました。

風の時代になったいま

好きになった原因をひたすら探っているよりも、好きになっちゃったんだからそれでいいじゃん。理由なんてどうでもいい、好きなものは好きなんだから……それでいい。

という考え方のほうが合っているのではないかと思うようになりました

今ごろになって……ここまで生きてきて……やっと気づいたんです🙀

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それからの私は

新しい視点に切り替えて取り組んでみることにしました。

なぜここでこのような印を
なぜここでこのような真言を

というような考えをやめて

ただ無心に、印を、真言を、観想を、実戦することだけに集中しました。

するとどうでしょう。どんなに考えてもわからなかったことが、「ああ、こういうことだからこうなるのね」と感覚的にわかるようになったのです。

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まだまだ道半ばで偉そうなことは言えませんが、何事も頭でゴチャゴチャ考えずに感じることに集中したほうが上手くいくのだという結論に達しました。(あくまでも私の中での結論であり私の考えですが……きっとこれ、合ってますね)

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