祈りの効果を加速させて願いを叶える⑥ー霊的な戦いを知ることが大切


(祈りの効果を加速させて願いを叶える)

(⇒前章⑤へ戻る)
(⇒最初のページ①へ戻る)

ーーーーーーーーーーーーーーー

和尚から「イエス・キリストはすごいパワーだぞ~」と教えられてから、YouTubeを開くたびに動画が送られてくるようになりました。

光のツインレイ、シュアクリーナから送られてくるときも同じなのですが、YouTubeを開くと、まったく関連性も何もないのにホームに現れたりお勧めに出てきたりするのです。私が間違えてクリックするよう仕向けられたり、画面がフリーズして開いたら別の動画が表示されていることもありました。まあ、いろいろな方法で「この動画を見なさい」とお知らせがくるのです。ありがたいことです。

そんな調子でこの時期は不思議なくらいイエス・キリストの動画が出てくるようになりました。それもイエスの絶対的パワーとかにフォーカスしたものばかりが送られてきたのです。

この一連の流れの中で私は示されるがままに動画を見る日々が続きました。そしてこの状況は、イエス・キリストは絶大なるパワーを持っていてどんな存在にも負けないのだ、という確信を私にもたらしました。

今回紹介させていただく動画は実際に起きている奇跡を淡々と動画に収めています。すべての奇跡が実際に起きていることなのです。見ればわかると思いますが、イエス・キリストは最高のヒーラーであり、イエスの名において行うことで奇跡は当たり前のように起きるのだというとことがわかります。

もちろん宗教は関係ないのでイエス・キリストのパワーという観点から見てみてください。私もイエス・キリストに繋がらせていただくことでそのパワーを使えるようになりました。抜くヒーリングや浄霊などはイエス・キリストと不動明王にお願いしておこなっているもので、私はただお願いするだけです。光の存在にお願いしたほうが私がやるよりも何万倍も強いのがよくわかります。

だから私はあまり偉そうなことは言えないのですが......

(動画の説明)

現在のキリスト教が教会にミサに行くだけの信仰になっていることに疑問符をもったトーベンという人が

2000年前、キリスト教ができる前、つまりイエス・キリストが生きていた時代に何が起きていたのか、に焦点を当ててもう一度原点に回帰して模索することから始まります。宗教は後からできたものなのでキリスト教という枠を外して2000年前に戻ろうとしたのです。

その後トーベンはイエス・キリストに導かれながらイエスが生きていたときにおこなった奇跡の数々を再現しています。

私はこの動画を通じて、イエス・キリストと私個人の信頼関係によって病気を癒したり憑依を外したりできるのだということを教えられました。

ぜひともイエス・キリストのパワーにフォーカスして動画を見てみてください。ちょっと長いけど映画感覚で見てみてください。最後の方は驚きの連続です。

ーーーーーーーーーー

(密教や陰陽師も同じことをしている)

ひとつだけお伝えしておきたいことは

実はこれ、真言密教でも陰陽師でも同じようなことを行っているということです。和尚に言わせれば、不動明王の力を使って行なう加持祈祷なんかもやり方は違っても同じものだそうです。

ただ、残念ながら密教や陰陽師などは口伝で非公開に伝えていくものなので、公の場になかなか出てこないいので知るすべがないということです。大切な部分はほとんどがベールに包まれているんですよね。(実際に修行して密教の阿闍梨になった私にはこのことがよくわかります)

その点イエス・キリストに関するこのような動画は、キリスト教そのものがある程度オープンであるため公の場に出てきています。素晴らしいことだと思います。

いずれにしても「最後の改革~始まり~」という動画を通じて

①人はみな自分自身で自分自身にかけてしまった呪いや執着や価値観、ああじゃなきゃいけない、こうするべきだ、などと縛り付けているものに苦しめられているのだ

ということがわかりました。ある意味、憑依とは悪霊や生霊だけでなく、このようなことのほうが多いのだと思いました。

ーーーーーーーーーー

たとえば私が自分の出世のために相手にウソをついてしまい、それによって相手が致命的なダメージを受けて会社を辞めてしまったとして

その後私は自分自身に言い訳をしながら生きてきたとしても

心の奥底には常にこのことに対する嫌~な思いが残っていて、思い出すたびに苦しくなり自己嫌悪が襲ってきて自分自身を責めてしまう......

ーーーーーーーーーー

このようなことはシチュエーションは違っても千差万別いろいろあると思います。

このとき、思い出すたびにいつも私を責めたてる「ネガティブな思い」が、動画の中で言う「悪魔」であり、その悪魔が私の中に入り込み、いつもいつも私を支配して「お前は自分の出世のために人をはめた悪いやつだ」と責め立ててくるのです。

②もう一つこの動画でわかることは、自分自身を縛り付けているものも、実は自分自身なのだということです。

動画の中で「神が許すと言っても自分自身が許してくれない」という場面があります。つまりこのことは、「神とは自分自身の内なる魂に存在している」ということを言っているのです。他人は騙せても自分自身は騙せないので苦しめ続けられるのだということでしょう。

じゃあ自分が許しちゃえばいいじゃないか、と思うかもしれませんが、頭では許せても魂が許せないのです。だからみんな苦しんでいるのです。

和尚が一番最初に言った「すべては内側にある」という言葉を覚えているでしょうか。この日記の一番最初の章のテーマです。すべては内なるもの活動でしかないということなのです。

私はこの動画を通じて、究極的には「神も、悪魔でさえも自分自身だった」ことに気づきました。ここが腑に落ちてくると、神が裁いているのではなく自分自身が裁いているのだということがわかるようになります。(※もちろん憑依という形で外から影響される例外もありますが・・・)

そしてまた、この3次元マトリックスの世界では内なるものが外側に投影されて見えていますので、外側にいる「イエス・キリスト」に祈りを捧げて内なるハートの目覚めを起こすことも可能なのです。

究極的に言っちゃうと「イエス・キリスト=自分自身」であるのですが、自分自身に祈ってもなかなか上手くいかないのが現実です。魂を覆っている穢れたベールを剥がさないと本来の「純粋なる魂」が現れてきません。

だから自分の内側に祈ると同時に、外側からも解放していくことが必要なのです。これは私が1つ1つ体験しながら光のツインレイ、シュアクリーナに教えてもらったことです。

●少し長くなりましたが、動画を見てからまたこの投稿を読んでくだされば意味がすんなりと理解できると思います🙇

ーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーー

(※私はこのページの文章の中で「イエス・キリスト」という言葉を15回使わせてもらいました。文章的には頻度が多くて読み辛かったかもしれませんが、言霊として愛のエネルギーを少しでもお届けしたいと思い極力省略しないでイエス・キリストと書かせていただきました。あっ、16回になりました......)

(⇒次章⑦に続きます)